気がつけば秋の気配・・・時の経つのも早いですね。
お蔭様で「チェーザレ」の単行本もようやく来月、10月23日に発売できる事となりました。
本当に長い間お待たせしてしまって申し訳ありませんでした。
とは言え、1~2巻は全くの序章にすぎず本題はこれからという・・・思えば先の長い話です。
出来れば書き下ろしで5~6巻まとまってから出したかったのが本音ですが、
それだといつ原稿がアップするか謎というか(苦笑)、
編集部的にも掲載を意識してくださいという事だったので、時間はかかりますが、自分なりに納得のいく形で取り組んでいきたいと
思っております。
我を通すことで読者の皆様にも編集部にも、今後も多大な御迷惑をかけることになるとは思いますが、
今は頭を下げるしかないのが現状です。本当に申し訳ありません。
話は変わりますが、秋の夜長という事で、ある小説を御紹介したいと思います。
ウンベルト・エーコ著「薔薇の名前」という作品です。
これは14世紀の北イタリアの修道院で起こった殺人事件を追う、老修道士とその弟子のお話なのですが、
ミステリーと言うより、真のテーマは宗教論争であり異端審問なのかもしれません。
宗教、異端、このような単語は日本人にはピンとこない上、異端については確かに解釈が難しく、
面白さを感じる前に投げ出してしまう恐れのある小説でもあります。
要約すると、探究心は悪しき思想であり、進歩はあってはならないという世界観の中、それでも人は知ることに貪欲であり、
好奇心は抑えきれないものだという物語 (かなり乱暴なまとめ方ですが) なのかもしれません。
例えて言うなら「それでも地球は回っている」でお馴染みのガリレオ・ガリレイ
(ガリレオもピサ大学に籍を置いた時期がありました。学部は医学部でしたが)
今でこそ当たり前の地動説を唱え、しかもそれが真実であり画期的な発見だったにも関わらず、
結局は異端審問にかけられ、処罰され幽閉されたというケースがありますね。
地動説に関してはガリレオ以外にも認識していた学者はいたかもしれませんが、仮にそう思っていたとしても異端審問を恐れ
口を閉ざしていたのではないかと思います。それほど当時はキリスト教世界の干渉が厳しかった時代でした。
何故厳しかったかと言うと、知ることは有意義な事でもありますが、同時に民衆に混乱、意識改革を与える場合もある訳で、
これが日常化すれば、キリスト教世界は崩壊の一途を辿る危険性があったからです。
「薔薇の名前」の時代設定がチェーザレの生まれる150年前で、ガリレオ・ガリレイの天動説批判がチェーザレ没から100年後、
中世のイタリアは保守派と革新派の鬩ぎ合いの歴史とも言えます。
もちろんチェーザレも革新派の筆頭ということで間違いはないでしょう。
何が本当に正しいのか結論は出ませんが、人間は日進月歩する生き物であり、
その衝動は止めようがないという事なのでしょう。
この探求と進歩が後に医学や科学の発達を促し、たくさんの命を救い快適な環境を与えた反面、
核爆弾が発明され大勢の犠牲者を出し、現在に至っては環境破壊を巻き起こすという皮肉な結果を招いている訳で。
それを考えるとなんとも頭の痛い秋の夜長になってしまうのですが・・・
ちなみに小説には多少及び腰と言う方には、映画の方の「薔薇の名前」をお薦めします。小説よりは入りやすく内容が実に上手くまとめられていて、小説の世界観をよくあそこまで映像化したものだと感心してしまう逸品です。
※ただしDVD判はラストの 「過ぎにし薔薇はただ名前のみ、虚しきその名が今に残れり」 (河島英昭訳)
という物語のテーマとなっている一節が省かれているようですので、この作品の本質を知りたいと思う方は原作をお読みになる事をお薦めします。