2007/09/07

やっと涼しくなってきましたね。と、言いたいところですが、関東地方は台風直撃だそうで、大事に至らない事を祈ります。

ところで「チェーザレ」掲載が9月13日と以前お知らせしましたが、実は9月27日に変更となりました。
楽しみに待っていてくれた読者の方々には、本当に残念なお知らせで申し訳ない。
単行本四巻発売を11月下旬に予定しているため、現段階で四巻分の原稿はすでに完成しているのですが、
出来るだけ雑誌掲載と単行本に差が出ないよう、また初版と再版の度にネームの変更、追加といった事のないよう、
多少時間をかけて再考したいという事ではないかと思います。本当に申し訳ありませんが、後三週間我慢してください。

そのお詫びという訳ではないのですが、ヴァティカンのボルジアの間の壁画をUPしてみました。
チェーザレの肖像画は、大半(ダ・ヴィンチの素描を除く)がチェーザレの死後に想像で描かれた物ばかりのようですが、
このボルジアの間の、ピントリッキオ作の壁画の中の人物は、限りなくチェーザレである可能性が高いと思われるので、
この機会に御紹介しようと思います。

アレッサンドロ六世と共に描かれているのは、ボルジアの四兄弟であるのは確かだと思われるのですが、
実際にはどれが誰と確定されている訳ではなく、ただ一番右の人物が他三人と違って武器を持っていないため、
兄弟の中で唯一聖職者であったチェーザレではないかと言う事のようです。
この時代の聖職者を描いた絵画は、各々の描かれ方によって宗教的な意味合いが含まれていたりするのですが、
そこの所はまだ調べがついていない状態なので、詳しい事がわかった際にまた御紹介できればと思っております。

一番下の絵は、同じくボルジアの間に描かれている物ですが、これもチェーザレではないかと思われている絵画です。
これも確証はなく、チェーザレあるいは弟のホアン、もしくはトルコの王子ジェームのいずれではないかと言われています。
実際、身に着けている衣装はトルコ風でジェーム王子の可能性も高いのですが、同じ場所にルクレツィアらしき人物も
描かれており、チェーザレ、ホアンどちらかであっても不思議ではないと思われます。
ただ、弟ホアンはガンディア公になってからは大半をガンディアで過ごしており、ローマにはあまり帰って来ていなかったようで、
(父、兄に対してかなりコンプレックスを抱いていた節がある)
そういった諸事情から、チェーザレをモデルにして描かれたという説も捨てきれない物があります。

写真撮影が天井を見上げる形で行われているため、仰ぎ見で絵に歪みが生じていますが、
左からロドリーゴ(アレッサンドロ六世)  中央上:長男ペドロ・ルイス  右:次男チェーザレ  右下:三男ホアン  中央下:四男ホフレ (ではないかと言われている。また長男ペドロ・ルイスはこの時すでに亡くなっているので、そのためか
それらしき人物と思われる絵は、顔がはっきりとわからない仕様に描かれている)
※窓からの自然光で右側が影になって多少見辛いです。

白馬に乗った騎士の絵ですが、実物よりコントラストを強めてUPしているため、この写真では髪の色が褐色のように
見えますが、実際はもっと明るい色で、ほぼ金髪のように描かれています。
もしこれがチェーザレならチェーザレの髪は金色だったという事になるのですが、この時代での金髪は実は大きな意味合いが
ありまして、金色等の明るい色は光(神様)を連想させる物として、神々しいという事で大変好まれていたようです。
チェーザレの肖像画が悉く処分されたのは、もしかしたら髪の色に原因があったのでは?などと、
ついそんな穿った事まで考えてしまいます。(笑)
悪魔的であるという烙印を押されたチェーザレが、金色の髪では示しがつかなかったのではないかと。(とんでもなく推測です)

※この絵にも表れているように、ボルジアの間はイスラム様式に溢れ独特の雰囲気を漂わせています。
(ボルジア家というより、当時のスペインの御国柄が出ているのかもしれません)
機会があれば、ユリウス二世(ジュリアーノ・デッラ・ローヴェレ)がミケランジェロに描かせたシスティーナ礼拝堂の壁画と比較して
見てみると大変面白いかもしれません。
画家としてのスキルからみるとミケランジェロに軍配があがりますが、個人的にはピントリッキオが好きですね。
色の使い方が実に独創的で、くどいように見えて軽快、散漫なようでいて一貫性があり、今風に言うならスタイリッシュとでも
言うのか、ある意味ボルジアを見事に表現しているように思えます。
私的には大変お洒落に見えて実に面白い画家だと思います。