正直、忙しくて年末年始の挨拶がまともに出来そうにもありません。
下記の文章は今年の秋、イタリアへ向かう前に事前に受けていたインタビューの一部です。
日本語訳をUPさせて頂きました。
ほとんど丸投げ状態で申し訳ないですが、来年の掲載まで、よろしかったら暇つぶしにでも読んで頂けたらと思います。
――なぜ漫画を、描くようになったのですか?
漫画家を職業としたのは、プロフィールのところにもあるように本当に偶然なのですが、子供の頃から絵を描くのが
好きな方で、幼稚園くらいの頃には、写実的に描くという事を意識していたようなき気がします。
特に馬を描くのが好きで、馬の足の関節部分が独特な構成をしているという事を意識しながら描いていました。
頭の中に被写体を想像し、様々な部位から描いたりすると周囲の大人が驚いたりするので、面白がってそういう
描き方をよくやっていた、割と可愛げのない子供でした。
小学校の頃は、百科事典を見るのが大好きで、そこで西洋絵画と出会いました。
一番衝撃だったのがカラヴァッジョです。『バッコス』の絵を見て、どうしたらこんな風に透明なガラスと、その中の液体と、
果物、そして人間の肉体といった異なる質感の物を描き分けることが出来るのだろうと不思議で、よく眺めていました。
――お父様は日本の伝統芸能である能の観世流能楽師ですが、芸術家の娘という家庭環境の中で、
芸術文化に触れる機会も多かったでしょうか?
その影響はあったかもしれません。でも芸術といっても家の中にある物は殆どが日本の芸術でした。
日本の芸術というのは、基本的にデフォルメの文化ですよね。絵画の表現もそうだけど、例えば能の舞台背景の絵にしても、
表現がとても平面的で、木を描くときも構成、構図だけで魅せ、立体的には表現しない。木の形を一度象徴化してから描くと
いった技法を使っています。それと、子供の頃よく父親が能の面(おもて)を見せてくれたのですが、それは正面から見ると、
アルカイックな表情をしているのだけど、角度を変える事で笑っている顔や怒っている顔、泣いている顔と表情を変える。
ちょっとした陰影によって、全く違う表情に見えるんです。それ程の繊細さが日本の美術にはあって、本当に細かい微粒子の
ようなレベルでの表現をする訳です。そういう物に親しんでいたから逆に、西洋の絵画を見た時には本当に驚きで、
日本の物より力強く、これでもかというくらいリアルな表現、要するに非常にわかりやすい訳です。
陰と陽でいうなら、日本は陰で西洋は陽の美術なんです。それにとても惹かれました。だから私にとって西洋絵画の詰まった
百科事典は夢の世界だったんです。なので、子供の頃はあまり漫画は読みませんでした。
その後中学でミケランジェロの彫刻をデッサンして、人間は骨と筋肉でできているという事を意識させられました。
それは日本にはない文化だったのでとても惹かれて、西洋美術に傾倒していきました。
高校は美術専門の学校に進学し、そこで現代の芸術文化の基礎であるルネッサンスの美術を学びました。
卒業後は手に職をつけようと服飾の専門学校に通いました。そこに在学時、たまたま漫画雑誌に投稿した所、
とんとん拍子にデビューが決まり、そうこうするうちに今日に至っているという感じで。
だから当初、漫画は本当に生活するための職業選択の一つにすぎませんでした。
―― 影響を与えられた漫画家はいますか?また、漫画にかぎらず、影響を受けた芸術家は?どんな方ですか?
最初はカラヴァッジョの衝撃でしたが、後にギリシア・ローマ彫刻、そしてルネッサンス期の絵画に影響を受けました。
ミケランジェロ、ボッティチェリ、そして写実の最たる物とも言えるレオナルド・ダ・ヴィンチ。
高校ではとにかくギリシア・ローマ彫刻とルネッサンス絵画を観察しろと言われ、写真がない時代によくあそこまで写実的に
描けたな、という事実に脅威を感じましたね。
――観察と伺い思い出したのですが、惣領さんは登場人物のたちのキャラクターを造詣する際もその人物の歴史を徹底的に
調べて、プロファイリングされていますが、そういう意味でも理系というか、科学者のような視点をお持ちですね。
確かにあまり感覚的な人間ではないです。
――作家、芸術家というと日本ではどちらかというと感覚的な人というイメージで、
作品も感性で描くとよく言われていますが。
自分の場合、感性は後付です。まず基本の写実から始まって、徐々にデフォルメを加えていく感じで作業しています。
そのデフォルメにおいて、一番影響を受けたのは、北欧の挿絵画家のカイ・ニールセンなのですが、彼がまさにそうですね。
人間の体を描く際も、写実からそれを微妙に崩していき、それによってとても幻想的なデフォルメを試みている。
しかし、日本の漫画の中には、デフォルメだけで構成された物もあり、たまに面食らう事もありますが、でも、それはそれで
すでにデザインとして世界観が確立されていたりして、逆に感心する事もあります。
こういう状況を目の当たりにすると、私自身は感性が固いというか、写実的に描くということが厳格に体に染み付いていて、
それでデフォルメする範囲を、自ら狭めているような所があるなと、そう思う事もありますね。
――以前ボッティチェリの色が好きだとおっしゃっていましたが。
そうですね。ルネッサンスの華やかな色彩が好きです。ルネッサンスはバロックとは違って陰影を使った表現方法ではないし、
イメージで伝える技法を優先していましたから、よりデフォルメという象徴化があるんですよね。
ボッティチェッリの描く華やかな人物や、背景のモチーフはまさにそうだと思います。ルネッサンスの次に来るバロック美術では、
さらに写実が進み、そのためにやや生々しさが増して来ます。私としては、ルネッサンスの写実とデフォルメのバランスぐらいが、
性格的にあっていて好みですね。最近ではピントゥリッキオも気に入っています。ヴァティカンのボルジアの間の壁画を描いた
画家なのですが、あれを見ると彼は画家というより、現在でいう所のデザイナーに近い感性の持ち主だと感じます。
――日本の女性向けの漫画の現状について、特に所謂成人向け、猥褻な漫画が増えている傾向にある事に対するお考えを
お聞かせください。
一部の漫画に過度な性表現や性描写があるのは知っています。確かに行き過ぎた物に対して私自身も眉をひそめる時も
ありますが、しかし一方で、そういった物の需要があるのも事実な訳で、読者が求めている以上は、それは決して間違っている訳
ではなく、それもまた表現の自由なのだと思います。ただ、まだ親の保護下にあるような幼い子供に対して、そういった物を
軽く提供してしまう日本の環境には、非常に遺憾に思う所が大きいです。
子供は大人以上に刺激に対して敏感です。そういった子供に、いくら望んでいるからといって、刺激的な読み物を与えてしまう
のは、ドラッグ入りキャンディを与えているのと同じような物だと思います。
ただ、一方で出版業もビジネスである以上、売り上げを維持しなければならない事情という物があります。
近年の出版界の不況からいって背に腹は変えられないという現状もある訳で、それは漫画家も同様、それを描かなければ、
仕事を失ってしまうという事態に陥ってしまうケースもあるのです。
それでもやはり、今後の漫画業界の事を考えると、せめて提供の仕方は考え直した方がよいのかもしれません。
表紙はいかにも児童書のようでありながら、その表紙を開くと裸や性描写が延々と続く、親がその中身を判断し兼ねるような類の
本の作り方は、自重した方がよいのではないかとも思います。
そういった物に興味を持つのは、ある意味自然な事であり、否定的な見方は出来ませんが、しかしそれを決して肯定的には
受け取らない意識が、世の中には存在するのだという事を、自覚させる事も重要なのだと思います。
――今描かれている作品は、そういった漫画とは真逆の物だと思いますが、そうした少女漫画界の現在の状況も、
少女漫画誌から青年漫画誌へと活動の場を移された理由の一つですか?
一番の理由は、多様な人間を描きたいと思った事ですが、確かに少女漫画界の現状にもあるとは思います。
少女漫画はとにかく恋愛がテーマであり、恋愛以外には中々焦点を当てさせてくれないという、奇妙な制約があります。
もちろん青年誌にも、それなりの制約はあり、少女漫画出身という理由でなのか、青年誌でも恋愛物を要求されて、
それにはちょっと当惑した事もありましたね。
それから絵に関してですが、投稿作でデビューは決まったものの、それに際して、整った写実的な絵ならよいのだろうと思って
描いていたのですが、「君の絵は生々しくてとっつきにくい」と、いきなり駄目出しをされ、実物の人間のようで子供は
気持ち悪がるから、あまりリアルに描かないでくれと言われ、それよりもっと可愛らしく夢のある描き方を心がけるようにと
指導されました。当時はそれにとても驚いて、改めて他の少女漫画を買ってきて研究した事があります。
それで気づいたのが、私の描く人物は目が細くて小さいと。
少女漫画はとにかく目が大きくて、華奢できらびやかな世界観でしたから、それまでにあまりそういう細かい所まで気にして
いなかったもので、それからは顔の造作のデフォルメにかなり頭を悩ませました。人体も二度描き、三度描きしながら、
始めに写実的に描いた絵を微妙に崩していって、なんとか少女漫画な感じに仕立て上げていたような有様で、
当然通常の二倍、三倍の時間を要し、我ながら変な事をやっているなと思いながら描いていました。
――何故チェーザレと彼に纏わる物語に興味を持たれたのですか?
チェーザレを描きたいというよりは、元々ルネッサンスという時代を、いつか描いてみたいと思い続けていたんです。
西洋美術の基礎であり、最も華やかで美しかった時代、それを作品にしてみたかった。
ただ好きな時代であり、また芸術性の高い時代でもあったからこそ、簡単には手を出せないというジレンマもありました。
でも、二十数年漫画家を続けてきて、以前より自由に描けそうな環境に移ったので、思い切って取り掛かりました。
チェーザレに焦点を当てたのは、日本では小説などを通じて、この人物の名前は割と知られているけれども、その詳しい生涯に
ついては、あまり紹介されていなかったからです。
日本でもダークヒーローのように伝わっていて、でも一方ではマキァヴェッリの『君主論』で絶賛されている人でもあり、
そこがとにかく不思議でした。
でも、実を言うと私も、最初はチェーザレを誤解していました。
おそらく大半の日本人同様、私も彼を無神論者だと思っていて、中世の信仰が人間全てを規定していたあの時代に、
神は存在しないと発言したとしたら、それはかなり気骨な人間だったであろうと。
そう思ったのは、日本でこれまでに紹介されてきたチェーザレ像は、あたかも彼が反キリストか無神論者ではないのかと思われる
行動を取った人間であったように伝えられていたからです。
それが作品を描く事になり、監修の原さんから当時のヨーロッパの世界観についての話を聞くうちに、それらが全くの間違いで
あった事がわかり、これまで想像してきた人物像が見事に崩れ去ってしまったのです。
どうしよう、とんでもない人を選んでしまったと、この段階で実は大変後悔しました。
――チェーザレに関する評価は、欧米の専門家の間でも賛否両論、本当に極端ですね。
はい。でも調べれば調べるほど、私が想像していたよりはるかに、彼は逆風の中で生きていた事がわかってきたんです。
彼の障壁は大変大きく、常にそれと闘っていた事が、原さんが厳選してくれた文献から次々と判明していって、
逆に幸運だったのかもしれない、この人に焦点を合わせたのは正解だったのかもしれないと今では思っています。
彼を理想の君主と称える人もいれば、極悪非道の悪魔だと批判する人もいます。
特に彼の死後に行われた情報操作は凄まじく、それが現代でも影響しているのは事実で、日本で紹介されているエピソードには
後世に加えられた誇称がかなりあると思います。
もうひとつ、チェーザレについて私が描きやすかった理由は、彼がイタリアで活躍したスペイン人であったという事です。
イタリアにとって異邦人であるという立場は、日本人である私自身も同じであり、そういった意味で、気が楽だった感が
あるからです。
これがイタリアで活躍したイタリア人である、レオナルド・ダ・ヴィンチであったなら、またちょっと赴きが変わっていたと思います。
とは言え、ダ・ヴィンチも実は描いてみたかった人物である事には違いないのですが。
――イタリアの中の異邦人、そして庶子であるチェーザレ。前作の『ES』もそうでしたが、惣領さんの描かれる主人公は、
マイノリティの人間が多いですね。
そうですね。ですが彼らに共通しているのは、正論を言って本質をつきつめてしまうが故に、周囲から孤立しているマイノリティだと
思います。厄介だからと葬られていくタイプです。まさにチェーザレと彼の評価が、歩んできた道のりその物のような気がします。
――レオナルドもやはり庶子であり、絵画の完成度を追及するあまり、周囲と遊離していった人物でしたね。
彼も科学的な人間と言われていますが、チェーザレよりも彼の方が惣領さん御自身と性格的に近いのではないでしょうか?
だからこそ、やはり描きづらかったのではないかと思われるのですが?
何かを創造する人間は皆、彼のような部分を持ち合わせているのではないでしょうか?
彼は筋肉の構造を知るために、自ら死体の解剖をしたと言われていますが、冷静に観察する気持ちは理解できる気がします。
それと彼は完成させていない絵が多々ありますが、それに関してもある程度構築して、自分の中で納得いく結論が出たら、
それはそれで良かったのではないかとも思います。結局あとは時間の問題ですからね。時間さえかければ完成するのですから。
私もたまに頭の中で、それなりの場面が完成すると、それで満足してしまって、描く気が一気に失せてしまう瞬間があります。
もちろん、原稿は渡さなければならないので、描くんですけどね。(笑)
チェーザレの方が描きやすかった理由の一つとしては、彼の人生が波乱万丈で様々な事件があるという事ですね。
レオナルドは他人の事にはあまり興味がないんです。向き合っているのが自分の世界であり、絵の世界ですから。
でもチェーザレは他人が非常に係わってきますから、そこにドラマが展開する。
政治家と芸術家という世界観の違いだと思います。
――政治には元々興味がおありだったのですか?
政治には割りと興味を持っている方だと思います。政治家を主人公にしたドラマや、過去におきた事件などの実録や再現ドラマ
などが、TVで放送されていると、時間を忘れて見入ってしまいますね。学生時代は小説家だと山崎豊子、
他に女性作家だと向田邦子、男性だと吉行淳之介、松本清張、太宰治などをよく読んでいました。
――ルッカを訪れる惣領ファン、漫画ファンの皆さんへメッセージをお願いします。
イタリア、ヨーロッパで日本の漫画という物が、文化として受け取って頂けているとしたら、これほど光栄な事はありません。
そして、イタリア、ヨーロッパを舞台にした本作が、その地でどのような評価を受けるのか、とても緊張すると共に大変楽しみでも
あります。歴史の調査も、物語の構成を練るのも、そして画を描くのも全て、これまでの何倍も労力を必要とする作品で、
そのために時間が掛かりますが、気長に見守って頂けると嬉しいです。
(2007年10月3日インタビュー)