2006/11/19


「チェーザレ」の単行本が無事発売されて、一息ついている今日この頃です。
(とはいえ3巻収録分の原稿に追われている毎日ではありますが)
長い間待っていた読者の方には本当に御迷惑、御心配をかけ申し訳ありませんでした。
3巻発売に関しては、単行本化する前に時代考証上の台詞、作画において誤りがないか総チェック等行うため
ページが溜まってもすぐに発売できない状況下にはありますが、さすがに1、2巻ほどの時間は要しないと思われますので
どうか御安心ください。
とりあえず今回のモーニングでの連載は8話分まで掲載可能な状態で、できれば10週分まで描きたかったのですが
原稿の再考時間を鑑みて今回は8話までという事で区切りました。来年早々には残り2話(これで3巻分)プラス4巻収録分の話
に突入できると思われるのでどうか楽しみにしていてください。
さて、今回はルネッサンス期の服装について少し触れようかと思います。
単行本で読んだ方はすでにお気づきと思いますが、フィオレンティーナ団、フランス団共に同じ格好の服装をしています。
(作中にははっきりとは登場していませんがドイツ団もほぼ似たりよったりの服装です)
当時は学問及び服飾、美術様式に関してはフィレンツェが最先端を行っており、軍事力に関しては発達していたフランスも
文化においてはドイツ共々後進国であったため、結果的にはフィレンツェの模倣をしていたような状態でした。
(このあたりからドイツは鎧における製鉄技術が飛躍的に発達する訳で、お国柄というかやはり防御に関しては昔から堅い国だったようですね)
そんな中チェーザレ、ミゲルに見られるようにスペイン団だけは著しく違う服装をしています。
これはスペイン独特の歴史と文化の現れなのですが、この服装のルーツは実はイスラム文化にあります。
ボレロのような短い上着にハーレムパンツのようなズボン、これは現在でも中近東でよく見られる服装ですが
当時スペインはその国土にイスラム王朝が混在する形態を取っており、(この間800年という歴史の積み重ねがあります)
ヨーロッパ圏でも珍しい文化を維持していた国でした。
作品では1491年の段階ですが、この次の年1492年はヨーロッパ史上でも激動の年ともいえる一年となります。
この年の幕開けにスペインはレコンキスタ(国土回復運動)を完了し、スペイン内のイスラム最後の王朝、ナスル朝をグラナダから
追い出します。
こうしてスペインは一枚岩の国家となったのですが、文化だけはそのまま根付き、闘牛などに見られるように
今日でもスペインだけがヨーロッパ圏にありながら、エキゾチックといわれる所以に至ったという訳です。
因みにチェーザレ達が着ている服装が、いつも黒を基調にしているのは、かつて異教徒に侵略されたという当時のキリスト教世界における汚点を払拭したいがため、キリスト教信者としての敬虔さをより強調する意識的な物であったと思われます。
当時は兎にも角にもキリスト教が正であり、他宗教は負の時代でありました。
スペインはこの後、コロンブスに代表される大航海時代を向かえ、1587年には無敵艦隊なる物を作り大海の覇者となります。
しかし国内ではかつての混合文化から一気にキリスト教世界への移行が進み、イスラムだけではなくユダヤ追放という他宗教
への迫害により、その融合性と柔軟性を失っていきます。
(金融業を生業とするユダヤの存在は、国の財政において重要な資金源でもあったため、ユダヤを追放する事によって
スペインの国力は著しく低下したと思われます)
そして結果的にはイングランドのプロテスタント(エリザベス一世の統治下)によって無敵艦隊が大敗し、スペインの華々しい歴史
に終止符が打たれる事となるのです。

こういった時代背景を踏まえた上でわかった事は、チェーザレはスペインがまだ融合性と柔軟性に富んだ時代に生まれた人間で
あったという事です。
方やイスラムに屈しなかったフランスの、絶対的なキリスト教崇拝の代表として描かれているのが作中に出てくるアンリですが
こういった人間とは当然ながら水と油、そりが合うわけもなく、このアンリの延長上に最大の宿敵ジュリアーノ・デラ・ローヴェレが
控えている訳でして。
ローヴェレも頑なまでのキリスト教信者であり、当時の段階ではかなりのフランス寄りのイタリア人(ロマーノ)でもありました。
この対立の構図は現在のヴァティカンで垣間見れます。ボルジアの間とシスティーナ礼拝堂です。
チェーザレの父親、アレッサンドロ六世によって作られたボルジアの間は、ヴァティカン内でも異彩を放っています。
金と青の色調に彩られたエキゾチックな様式、これはヨーロッパ独自の物とは言いがたく、そこにははっきりとイスラムとの
混合文化が読み取れるのです。
そしてシスティーナ礼拝堂。これはローヴェレの叔父であるシクストゥス四世が作った礼拝堂で(システィーナはシクストゥスの
名から取った物です)ローヴェレが教皇ユリウス二世となり政権を握った折り、それまでのシスティーナ礼拝堂(作中で再現した
物)の天上の星(この青はサファイヤを潰して塗りこめた物だったらしい)をこそぎ落として(ちょっともったいない気もしますが・・・)
そこに、やはり敬虔なキリスト教信者であったミケランジェロに創世記の天井画を描かせたのです。
美術様式に見られる完全なる対立が、ヴァティカン内に今も残っているというこの現実が実に興味深いです。
ヴァティカンに行く事があるのなら、是非この点を意識しつつ鑑賞すると、また赴き深いものがあるかもしれません。
蛇足ですがヴァティカンにはシクストゥス四世の壁画も残っており、現在はカンヴァスに移行されヴァティカーノ絵画館に
展示されているようです。ここに描かれているのが若き日のジュリアーノ・デラ・ローヴェレではないかと思われ
シクストゥス四世のまん前の中央に堂々と立っております。
そして教皇のすぐ右隣に立っているのがラファエーレ・リアーリオの父親であるジローラモ・リアーリオではないかと思われます。
作中のローヴェレはこの絵を元に年齢を重ねた状態で再現してみました。似ているかどうかはさて置きですが。(笑)
ローヴェレに関しては、とにかく驚愕の逸話があり、本当に聖職者なのか?と目を疑う部分もあるほどの記録が残されており
(見方を変えれば熱烈なるキリスト教信者ゆえの行為とも言えますが)
まあこれはおいおい描くことになるのですが、その性格はこの「シクストゥス四世とプラティナ」(1477頃作)という絵の中に表現
されているのかもしれません。もし見る機会があったらその立ち位置に御注目ください。
絵画の中央にまるで主役のようにそびえ立っていますから。(笑)


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