2006/12/22


気がつけば12月、すでに師走だったのですね・・・。
「チェーザレ」は28日発売の掲載号での回で、またしばらく休載となります。再開は4月初旬と思っておりますが、
この間3ヶ月程お待たせする事となり、また御迷惑をかける事となりますがどうかお許しください。
次回は12回掲載を予定しているのですが、すでに2話分作られているものの、出来るだけ掲載のスパンを長くしたく
(何せ登場人物が多く、込み入った関係だらけで「これ誰だっけ?」状態に陥りやすい展開を避けるため:苦笑)
申し訳ないのですが描き溜めるためにまた少々お時間を頂きたく思います。
因みに3巻発売も連載再開に合わせて4月を予定しております。
話は変わりますが、思い起こせばちょうど2年前、イタリアに取材旅行に行ったのがついこの間の事のようです。
日本は11月に入った頃からクリスマスムードが色濃くなりますが、イタリアでは11月下旬頃でも、それほどクリスマス色が
濃厚という訳ではなく気候も日本よりは暖かいせいか、まだまだ秋の装いを保っておりました。
という訳で今回はクリスマスに因み、ちょっと宗教へのスタンスについて私なりに考えてみたというお話をします。
とはいえ難しい話をする気も、話せる気もしませんが。(笑)
日本人は大半が無神論者といっていい国民性ですが、そもそもこの歴史はいつから始まったのだっけ?と考えたところ、
やはり起因は織田信長にあるのかと。
信長とチェーザレはよく比較されますが、合理性重視という点では確かに似ている所はあるものの、絶対的に違う点は
信長は無神論者であったと言われているのに対し、チェーザレは完全なる有神論者であったという事です。
これは文化、民族性の上での思想の違いとも言えますが、まあそれは今回は置いといて。
日本という国は島国な上に当時の政権争いは近畿、中部地方に集中しており、その範囲の狭さから政治権力が宗教勢力を
上回る事が容易であったと思われます。
しかし延暦寺の焼き討ち等、宗教の根絶を計ったという事は、信長はやはり宗教の威力をよく理解していた人間だったという事
なのでしょう。そういった事実を踏まえた上で、信長の面白い所はキリスト教には寛容であったという事です。
それは一向一揆(一向宗という宗教による武装蜂起)への対抗のためというのもありますが、本音はヨーロッパ文化に感化された
といった所なのでしょう。
信長が好んだという洋装や甲冑は16世紀のスペイン、ポルトガルから伝わったもので、前回触れたチェーザレ達が着ていた
黒を基調としたあの服装です。当時の日本では南蛮文化と言われていました。
東方のイスラムから西方のスペイン、ポルトガルに渡り、そしてまた日本という東方へと渡る。流行とは面白いものです。
それにしても感心するのが、キリスト教に対する造詣を深める気はさらさらないものの、ファッションや武器はちゃっかり頂くという
信長のその見事な合理性です。
なんとなく現代の我々日本人がキリスト教には興味はないが、何故かクリスマスというイベントには国を挙げて盛り上がるという
それとどこか似ているような・・・。
美味しい所だけ頂く、話題性には必ず飛びつくというこの国民性。
ツリーを飾りつけケーキにシャンパンのクリスマスが終われば、その一週間後には着物を着て、こぞって神社に初詣に出掛ける
この国民性を柔軟性と取るか、ただの御都合主義と取るか。まあ意見は分かれる所ではありますが・・・。(苦笑)
とりあえず、メリークリスマス。


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