2007/02/04


2007年もすでに2月。私は未だにカラー原稿やってるような有様です。
本編を同時進行しながらなので、時間が掛かるのは仕方ないのですが、前回でも述べたようにやはり服にはかなり梃子摺って
います。
ルネッサンス時代の服装は専門的に言うとAラインとでも言うのでしょうか、(フォルムがアルファベットのAの形に見える洋服)
裁断自体は直線的でシンプルな型なのですが、何が厄介かと言うと布の織り方や染め方、それに施した刺繍等なんですね。
カラー用の衣装に今回はゴッツォリとギルランダイオの絵画を参考にしているのですが、どちらも衣装の刺繍が凄まじく
ゴッツォリの方は割りと有名な絵画で、メディチ・リッカルディ宮殿にある「東方三博士の礼拝」に描かれている物なのですが、
それを司教用に仕立て変え全体に刺繍らしき物を施してみたものの、想像の範囲であったとはいえ、やはり紙面に向かう度に
軽く鬱入ります。
これを描いたゴッツォリも凄まじいですが、実際のこの当時の豪華な刺繍を縫い取りしたお針子の腕にも驚かされます。
特権階級ならではの、このような豪華な衣装はそういった職人達の手によって作られていったのでしょう。
これはもう職人というより芸術家の域に到達していると思われます。
繊維は保存が効かないため現存していないのがなんとも残念なのですが、しかしこのように絵画の中にその姿を残し、
現代人である私達の目に触れているわけで、当時の職人達のスキルと気合いにほぼ脱帽状態の毎日です。

しかしながら、私が今参考としてよく目を通している資料、これが中世の絵画に見られる装束に焦点を当てた結構レアな
画集なのですが、この「東方三博士の礼拝」の作者がベノッツォ・ゴッツォリではなくメロッツォ・ダ・フォルリと表記されており
「あらら、画家の名前間違えてる」と、つい最近気がついたような有様で・・・。
この画集、イタリアの書店で買ったイタリア人編集による物なのですが、これだけの素晴らしい芸術品を数多く所蔵している国の
人間であるにも関わらず、随分無頓着な事をするものだと、ちょっと苦笑いしてしまいました。
これって芸術品を抱えすぎて麻痺してるって事なんでしょうか。
そういえばローマに滞在中、ホテルの近くにパンテオンがあり、よくパンテオン前で待ち合わせとかやりましたけど、
パンテオンの中にはラファエロの墓もあったりするんですよね。
しかし実際のパンテオン前は東京でいうなら渋谷駅前といった感じで、結構皆さん待ち合わせ場所として活用してるようでして、
とにかくイタリアはとんでもない物が日常の中に雑然と溶け込んでいて、こればかりはさすがに圧倒されると言うか、
それ通り越して呆れてしまうというか。

・・・といったように、カラー原稿で鬱になっていた私を気遣ってか(おそらく不安になったと思われる)担当編集者と原さんが
打ち合わせを兼ねて、我が家で当時のイタリア風手料理を再現して食してみようと激励に来てくれたのですが、
そこで教えてもらったのがパスタ(マッケローニ)の茹で方です。
イタリアでは沸騰したお湯に塩をほぼ海水くらいになるまで入れ、それからオリーブオイルを少々垂らして茹でるのだそうです。
そうする事でパスタ自体に味が染みて、湯切りしたあとは山菜と香辛料を混ぜ合わせるだけでOKなのだそうで、
茹で方はやや固めでした。
調理用に乾燥トマトとかも差し入れして頂いたのですが、当時ではまだトマトはヨーロッパに存在していない物でしたので、
食卓は赤味を帯びた物はほとんど無かったと思われ、当然ピッツァもまだ存在しておりませんでした。
16世紀後半に新大陸から持ち込まれたトマトは、当初その赤い色から毒であると誤認され、鑑賞用の植物として扱われて
いました。後に、おそらくですが、毒薬として利用しようとし幾多の精製を繰り返すうちに、これは毒ではなく美味であると、
ある日ある時ある人が気づいたのでしょう。
これによってトマトは、今日イタリア料理には欠かせない食材になったという訳です。

因みに当時は、水自体が衛生上あまり信用できず、飲み水は一度煮沸して冷ましてから飲むようにしていましたが、
中々保存が効かず、そのために飲料水としてワインが常用されていたと思われます。
アルコール分があるため水よりずっと保存が効いて安心できる飲み物、それがワインでした。
ワインと聞いて今の感覚だと当時の人間は皆酒豪だったのでは?と誤解してしまいそうですが、当時のワインは現在のとは違い
あまり醸成させていませんでしたから(水代わりにしていたくらいなので必要以上に寝かせている時間もなかったと思います)
実際のアルコール度数は5度程度だったと思われます。現在でいう所のビールと同じですね。
今の時代のワインでいうなら、ボジョレーヌーヴォがわかりやすい例えかもしれません。

当時ビールもあったようなのですが、やはり砂糖が貴重品の時代ですから甘味のあるワインの方が人気だったようで、
ヨーロッパ人にとっては葡萄は本当に生活になくてはならない果物だったようです。


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