2007/04/22

単行本「チェーザレ」3巻、無事発売されます。と、言いたい所ですが、全然無事でないお知らせをしなければなりません。
3巻終盤、フランチェスコがメディチ家の家系について語るシーンがあるのですが、
「ロレンツォ様の父上、老コジモ」という箇所です。実は老コジモの正しい続柄は祖父です。
その箇所は、最初は父親ピエロとしていたのですが、その後の会話にロレンツォの息子、同名のピエロの名が出てくるため、
読者が混乱するのでは?という配慮からピエロ(父)→老コジモ(祖父)に変えたものの、
祖父という続柄の変更を見落としていました。
単純にして大いなるミスです。申し訳ない。
ドラギニャッツオ自体が架空の人物のため、位置づけが曖昧になってしまいました。
すでに単行本化してしまったため、初版本を手に入れる方には本当に申し訳なく思います。
この場でお詫び、訂正させて頂きます。

因みに2巻でのダ・ヴィンチとチェーザレの会話でミラノの騎馬像について語る場面がありますが、
そこで騎馬像→騎馬隊となっている箇所がありますが、この場合は単なる誤植です。重ね重ね申し訳ない。
それなりにチェックしていたつもりでしたが、見落としが後を絶たず・・・いや今後も気を引き締め、出来ればミスのない
仕上がりにしていきたいと思います。

単行本も3巻になり、登場人物の内面に、より深く触れなければならなくなってきました。
サチェルドーテは学術書のため、チェーザレに纏わる膨大なデータを収集してあるものの、そこにはチェーザレ自身の性格に
ついての描写等は殆どなく、それを想像させる物は、チェーザレと関わった人物達の書簡から分析するほかありません。
学生時代は、主にジョヴァンニの側近がジョヴァンニの父親ロレンツォに宛てた手紙と、チェーザレの家庭教師が
チェーザレの父親ロドリーゴに宛てた手紙の内容からの推測した物で構築しました。
チェーザレが枢機卿になった18歳以降では、フェラーラの駐ヴァティカン大使が、フェラーラ宮廷に宛てた手紙で
垣間見る事が出来ます。
その中の一文で、大使はチェーザレを「明るく陽気で快活な御性分でありながら、謙遜する事も大いに知っておられる方」と
褒め称えています。この謙遜という表現に、当のサチェルドーテも、信じ難いと驚愕してはいますが(笑)、
ロドリーゴはチェーザレを徹底的に教育したようで、こういった処世術と優雅さは、当然の如く身に着けていたのかもしれません。

チェーザレに限らず、今後登場する妹ルクレツィア等、ここからの人物描写はサチェルドーテ、その他の資料本から
私が解釈した物による色合いが濃くなっていくと思われます。
楽しいながらも繊細な作業が続くと思われますが、今後も再考だけは念入りに!という事を肝に銘じて、
とりあえずお詫びと訂正のお知らせでした。

ついでに前々回で、チェーザレの伯父ペドロ・ルイスについての表記ですが、あの段階までは優れた軍人と言う事に
なっていましたが、詳しく調べてみたところ、実は全く軍事的才能のなかった人のようでして、この段階では弟のロドリーゴの
采配でボルジア家は成り立っていたようです。
サチェルドーテ以外の文献で、優れた軍人という説が定着していたもので、それを鵜呑みにしてしまいました。申し訳ない。
どうやらチェーザレの兄ペドロ・ルイスと、名前が同じだったため、混同されたのではないかと思われます。

チェーザレの兄ペドロ・ルイスは、これは完全に英雄視されるほどの武人で、スペイン本国でも人気の高かった人物でした。
ロドリーゴとジョヴァンノッツァ(愛称ヴァノッツァ)の5人の子供達の中で、長男ペドロ・ルイス 次男チェーザレ 長女ルクレツィア 
この3人はかなり出来の良い子供だったようです。
他の愛人との間にも子供はいたみたいですが、どれも関係は希薄で、もっとも長く蜜月が続き、殆ど妻と言ってよいほどの
立場にあった女性は、結局この3人を産んだジョヴァンノッツァでした。

※長男ペドロ・ルイスの母親は、確実にジョヴァンノッツァという記述は、実は今の所出てきていないのですが、
逆に誰であったかという記述も残っておらず、完全に不明のまま今日に至っています。
ただペドロ・ルイスが生まれた1463年頃には、ロドリーゴはすでにジョヴァンノッツァと出会っており、恋仲になっていたようで、
この出会いの場がマントヴァ、もしくはリニャーノだったのではないかと言われています。
(一説にはローマの女性とも言われていますが、家系の出身はロンバルディア地方だったらしく、
マントヴァはロンバルディア地方の都市のひとつにあたります)。
それから推測すると、マントヴァかリニャーノで出会った二人の間に、ペドロ・ルイスが生まれていてもおかしくはなく、
この後ロドリーゴはローマで着々と地位を築いてゆくため、多忙な日々を送っており、ジョヴァンノッツァとはこの間
隔たりがあったようで(記録が残っていない)、おそらくローマでの基盤を造った上で、ジョヴァンノッツァとペドロ・ルイスを
手元に呼んだのではないかという推測も出来るのです。
そう考えると長男のペドロ・ルイスと、次男のチェーザレの年の差が12歳も離れているのも妙に納得がいき、
またチェーザレ以降の子供達を、ジョヴァンノッツァが割りと高齢で産んでいる事に、何気に合点がいくような気もします。
(チェーザレはジョヴァンノッツァが33歳の時の子供)
そういった記録からの推測により、作中では5人の子供は全てジョヴァンノッツァの子供であるとしました。

蛇足ですが、ロドリーゴはこの頼りない兄を決して見限ることもなく、兄弟仲は大変良かったそうです。
叔父が教皇カリストゥス3世になりスペイン、ヴァレンシア(ハティバ)から招喚されたペドロ・ルイス、ロドリーゴ兄弟でした。
(因みにロドリーゴはこの時イタリアのボローニャ大学に在籍中でした)
異国であるローマで、頼りになるのは肉親の叔父と兄弟だけという状況下で
(そうでなくとも外国人教皇のブレーンには風当たりが強い)
兄弟がお互いを支え、頼りにするのも当たり前の事だったと思われます。
このチェーザレにとっての伯父ペドロ・ルイスの死も、一応病死(熱病)という事になっていますが、
事の真相はまだ掴めていません。