2007/06/06

残念ながら9話目、間に合いませんでした。申し訳ない。
何とかなるかと思ったのですが、やはり作画が間に合いませんでした。

読者の皆様、そして編集部にも、毎度ながら御迷惑をかけ本当に申し訳なく思っております。
現在掲載中のピサ編から、今後のシエナ編、コンクラーベ(教皇選挙)編、スポレート(教皇領要塞都市)編まではほぼ私の中では出来上がっているのですが、実はここからが難関というか、監修の原さんとのバトルが展開される訳でして。

バトルといっても喧嘩ではなく(笑)、矯正という形の微調整が施される訳なのですが、例えば作品に登場するラファエーレ・リアーリオ。まずこの敬称が問題で、読者にとっては、単純にラファエーレ様とすれば、実は最もわかりやすい表現になるのですが
学者である原さんの立場から鑑みると、これがただの様では片付けられない要因でして。

ラファエーレ一人に、リアーリオ枢機卿、ピサ大司教様 ラファエーレ猊下(げいか) 、ラファエーレ殿
といった様々な呼び方がある訳ですが、これは状況や相対する人間との力関係、階級によって変わります。

リアーリオの役職としては枢機卿で、ピサでの大司教でもあるので、ピサ市民にとっては大司教様と呼ぶのが妥当であり、リアーリオ自身を呼びかける際はラファエーレ猊下というのが相応しい。

簡単に言うとこういう事なのですが、これは原さんの見解が100%正しく、作中には色々な階級の人間が登場してきますので呼び方は状況と人によって変化していきます。

ところが、これを読む時には一読者の視点になる訳で、つまり読み手にとっては符号としてのデータが多すぎるという問題が生じてしまいます。

学者である原さんから見れば、だからそれが何?という事なのですが、これが漫画描きの立場の辛いところで、私にしてみると読者の混乱ぶりがとてもよく伺えるのです。

まあ、学術書レベルを読みこなしている読者なら、何の問題もなく逆に甘いと思われるくらいかもしれませんが。(苦笑)

(因みに閣下ですが、閣下は猊下より格下の敬称になり、作中では次期枢機卿という候補生のような意味合いです)
要するにこういった諸事情の妥協策を見つけ出し、出来るだけわかりやすく、また漫画の場合写植の文字数との兼ね合いもありますから、これを考慮した上での話し合いが現在まで繰り返されてきたという訳です。

8話目(6/14発売Virtu30)でも、楽師が登場するシーンで
(15世紀の段階では現代のような楽譜は存在せず、楽師は耳で音階を覚え、それを継承していくのが常とされていました)

音楽が流れる表現として音符を使ったら「いえいえ、この時代に音符は存在しません」と原さんが炸裂。
これにはさすがに大爆笑してしまいました。(失礼しました:笑)

この時代には、確かに音符は存在してはいないのですが、ここでの音符は擬音の役割を担う記号であり、いわゆる漫画ならではの手法だと、説明し納得してもらったような次第です。

他に表現方法は無いかと一応色々やってはみたのですが、ルネッサンス時代のあのおっとりとした優雅な感じが、私の能力の無さからなのか、どうも上手く表現しきれず、結果定番通りの音符で軽く濁しただけに終わってしまいました。
全て些細な事と言えばそこまでなのですが、逆にこの原さんの学者ならではの見解があるからこそ、信頼でき安心して物語を構築していけるのだと、つくづく思う今日この頃です。まあ、このような事は今では日常化しているので、対した問題ではないのですが最大の問題は宗教に関する事かもしれません。
正直これは、この作品にとって切っても切れない最大のテーマとなりつつあります。

宗教に関しては、私が現代人で日本で生まれ、信仰というものについての教育がなされていないため、大変認識が甘く、この点は情けないのですが、今でも勉強中というような有様です。

チェーザレや父親ロドリーゴに対して、よく神をも畏れぬといった例えや無神論者であるという表現がありますが彼らは実際、十分神を畏れ敬っていたと思われます。
それは当時の彼ら(現在の欧米人にも当てはまる)の世界観が、全て神様を中心に考えられていたからです。
この世界も人間も、神によって全てが創られた訳であり、その神に愛される事で自らの存在意義を感じることになるのです。
神の存在を否定する事は、自分自身の存在を否定する事になるため、まずそのような思考にはなり得ないのです。
(これを我々日本人の価値観で推し量ると、欧米諸国の方達に対して非礼にあたる可能性があるので、この辺は気をつけるに越したことはないと思われます)

極論をいうと、人を殺すのもそこに使命を感じてさえいれば、それは神の意志という事にもなりかねない、という事なのでしょう。
この当時の人間の意識を理解し同調するのに、私自身がまだまだ時間を要するようで、文字や絵の視覚からくるイメージは、非常に直接的で強く、それによって色々な意味で危険性を生む場合もあり、これは原さんも同様、慎重なスタンスを取っている状態です。
正直、編集部的には難しい事は抜きにして、もっと娯楽性の高い読み物として展開して欲しかったようなのですが(所詮、漫画です:苦笑)
突き詰めるとこうなったというか、言い方は悪いですが、これは原さんと私とで悪ノリしてしまった結果と言わざるを得ません。
何だかんだで、結局お互いの首を絞めている事にもなっているのですが。
まあ、打ち切り覚悟で始めた事ですので、ここまで続いてきた事こそ奇跡かもしれません。(担当編集者は当初、次の受け入れ先の雑誌の事まで考えていてくれたらしい:笑)
これは担当編集者の熱意と、編集部の理解と忍耐あっての事だと思います。
歴史と政治に興味のない方には、面白さの欠片も感じられないお話かもしれません。漫画として考えるとどうなのかと私自身も疑問に思うところもありますが、それでも今の所頭を下げつつ描き続ける事しかないという状態です。

そして何よりも、現在まで継続出来ている一番の理由は、時間が掛かっても単行本を待ち続けていてくれた読者の存在だったと思います。本当に読者に救われた作品としか言いようがないです。
それから予想外(失礼な言い方かもしれませんが)だったのが、書店の対応でした。
正直一般的に考えて、売れる見込みは殆どないと思っていた本に対して、大変な後押しをして頂き驚きと共に感謝の念を覚えずにはいられませんでした。販売員さんの尽力には心からお礼を申し上げたいです。

本当に皆様のお蔭あっての今日だと痛感する毎日です。

ありがとうございました。

そしてまた休載です。本当にごめんなさい。(結局、長い言い訳でした)

夏に再開予定しています。