2017/12/14

12月12日に行われた大矢誠の裁判を傍聴してきました。
11月28日の初公判は傍聴希望者が348人集まってしまったため、傍聴券の抽選に外れてしまったのですが、
運よく二回目の判決公判では傍聴権を得ることが出来ましたので、
10分足らずではありましたが見届けてまいりました。

入廷してきた大矢誠は普通の人間に見えました。
日本の標準的な中年男性といった感じで、入ってきて数歩進んだところで、
頬が一瞬引きつったような動きをしていたので、ある程度は緊張していたのでしょう。
しかし、普通に見えれば見えるほど、一連の犯行とのギャップで逆に不安を覚えたのも事実です。

判決は、懲役1年10ヶ月、執行猶予4年。

ある意味、想像通りの結果となりましたが、
求刑の1年10ヶ月からの減刑はなく、執行猶予としては最長の4年という事で、
※ 執行猶予は3年以下の刑期に適応されるものです。
  動物愛語法違反の場合、最大で2年以下の懲役、200万円以下の罰金となります。
  執行猶予はその求刑の1,5倍~2倍が妥当という事で、そういう意味では執行猶予4年は
  動物愛語法違反において最長という事になるようです。

個人的心情はさておき、現在の司法においては相応の結果だったのではないかと思っております。
裁判官が判決理由を朗読中、2回ほどつっかえていたので、事件の注目度からそれなりのプレッシャーは
感じていたのではないかと、あくまで主観ですが思われました。

執行猶予がついた理由については、
「行為自体許されるものではないが、被告には前科がなく、
勤めていた事務所を解雇され、税理士会からも脱退せざるを得ない状況に追い込まれ、嫌がらせ等、
すでに社会的制裁を受けている事から、今回の執行猶予という判決に至った」
との事でした。

この判決理由を聞きながら、私の中で社会的制裁というものについて改めて着目させられたというか、
裁判終了後、帰り道を辿りながらいろいろと考えさせられました。

そもそも、何故「社会的制裁」というものが発生してしまうのでしょうか。
法律上、犯罪者に対して大半の人間が相応であると思う判決がなされていれば、
我々国民はそれに委ねればよいだけで、判決が下される前に私的な制裁を加える必要もないはずです。

では何故このような現象が起きてしまうのか。

それは、行った犯罪に対して求刑が軽い、精神疾患、年齢が幼すぎる等、情状酌量の余地が存在する事への
懸念だと思われます。
実際に制裁行為を加えている人達の大半は、もともと冷酷な心の持ち主とは限らず、その根本にあるのは
相手が野良猫だから、害獣だからという以前に、
生き物への執拗な拷問とも思える残虐行為を、繰り返し行うことが出来る大矢の人間性に対して、
再犯への怖れ、不安、怒りを覚え、またこういった日本の司法の在り方に不信感を募らせた故の結果だと、
私個人はそう思っています。

もともと法とは、常識ある人間が倫理観に基づいて作ったものであり、
その法を犯す者の多くは非常識な人間なのですから、法が追いつくはずもなく、
我々が考える常識の斜め上をいくような行為を、安易に行えてしまう人間の心など、
私達一般的な常識を持つ者からは、到底理解できるはずがないのです。

大矢誠は海外の残虐な虐待動画を見ているうちに、感覚が麻痺していったと公判で述べていますが、
こういった動画を見たのは自分の意思であり、またこのような残虐性の高い物を通常の人間が見れば
多くはPTSD(心的外傷後ストレス障害)を引き起こす可能性があり、
逆に麻痺する感覚とはいったいどういうものなのか。

実際に今回の事件を知り、PTSDの症状を発症してしまった方々も多いと思われます。
また殺処分を行っている保健所の職員で、このPTSDを発症し苦しんでいる方も実際にいると聞きます。
かつて見たドキュメントで、無責任に増やしてしまった野良猫、個人的理由で飼育できなくなったペットの犬達を、
あっけらかんと殺処分してしまう飼い主達を特集している物がありましたが、
対応されていた職員の方は、生き物をまるで飽きた玩具のように捨てる飼い主達に、
内心では憤りを感じていると仰っておられました。
通常、こういった感情が沸き起こるのが正常な精神だと思うのですが、
残虐な動画を繰り返し見ることが出来、次第にそれを真似してみたい衝動に駆られ、実際にそれを実行に移し、
最終的には苦しんで死んでいく猫達を動画に撮り、大矢自身が証言していた悪意ある人間達と共有し嘲笑う事は、
常識云々の前に、理性ある人間の本能として一線を引きたいと思うのが自然な感覚だと私は思います。

私自身も、未だ静止画と文字情報でしか事件の概要を認識しておりません。
我家の猫であるアヤは元は野良猫で、事件の起こった埼玉県で保護された猫です。
時期や地域によっては、この子も此処にいなかったかもしれないと思うと、正直精神的に耐えられないものがあり、
また想像するだけで、その凄惨さは十分に理解でき、このような死に方や傷を負った猫達を哀れに思えば思うほど
余計に見ることが出来ずにいます。

日本に限らずどこの国にも大矢のような人間はいますし、
野良猫、野良犬等、動物との共存を願い、ボランティアに従事する方たちも大勢います。
残念ながら、これからも動物に限らず虐待という行為はなくならないでしょう。
その抑止を出来るだけ促すのが法規制しかないのが現実で、それが追いついていないのであれば、
司法は機能不全を起こしているとしか言えません。

大矢を解雇した事務所は大矢の人間性を知らずに雇っていました。
知っていれば元から雇う事はなかったと思います。
なぜなら税理士に限らず、どの仕事も能力と共に人間性を重視するはずだからです。
それを鑑みれば解雇は至極まともな判断で妥当であり、巻き込まれた事務所も被害者であると言えます。
裁判官は「すでに社会的制裁を受けている」と言っていましたが、社会的制裁はこれからも続くでしょう。
言い方は悪いですが、社会に丸投げしているのが現在の日本の司法の在り方そのものだからです。

「動物の愛護及び管理に関する法律」の改正を求める署名
https://goo.gl/ur9gYe

動物愛護法2018年改正へ向けて署名にご協力ください<国会請願署名>
締め切り、2018年1月15日着