2017/03/11


東日本大震災から6年が経ちました。
死者15,894人、行方不明者2,562人、避難者数が2016年までで13万人強。
この6年間、復興支援や防災等において、
日本人の意識改革が十分に行われてきたのではないかと思っていたのですが、
最近になって、被災地や東北出身者の子供に対してイジメや差別が行われていたという事をニュース等で知り、
何故そのような事態に至ったのか詳細はわかりませんが、情報を聞く限り何ともやりきれない思いで一杯です。
元々人間はエゴで、差別化する傾向のある生き物だと個人的に常々思ってはいるのですが、
倫理観の未熟な子供なら致し方ない事とは言え、周囲の大人や地域社会はいったいどのようなスタンスで
その状況を受け止めていたのか、本当に理解に苦しみます。
こういった現象は昔から脈々と続いてきたものではありますが、21世紀の現在でも無くならないものなのかと
改めて痛感しています。

私の父方の伯父は小学生の頃に父親(私にとっては祖父)を病気で亡くし、
母親(祖母)の手ひとつで育てられましたが、
その時、周囲の子供達から言われていたのが「父無し子(ててなしご)」という言葉でした。
現在の私達にとっては謎の言葉だと思いますが、今では不適切な言葉として誰も使わない前世紀の差別用語です。
大黒柱である父親を失い、社会的に弱い立場にある子供をさらに貶めるという、今から見れば謎の現象です。
伯父とその弟であった私の父は、幼い頃何度もこの言葉を浴びせられたそうです。
伯父は私の父とは違い、とても優秀であったそうで(親戚から聞いた話です)
学校で良い成績をとっても最終的には
「父無し子のくせに生意気だ」「あいつは所詮父無し子だ」と揶揄されたそうです。
その反動もあったのか長男としての責任感からか、伯父は旧制小倉中学校へと進学し江田島(海軍兵学校)を経て
最終的に海軍仕官として戦死という形で人生を終えました。

戦後においては、今度は江田島出身という事に対して
エリート意識による排他主義だというような批判が起こったとの事で、
人間の意識は、所謂標準ではない事に対して基本差別するのが自然な在り方、という事なのでしょうか。
それでも伯父と私の父に対して善意で接し、支援してくれた人々はいたはずで、それは今も同じく
心無い人間はほんの一握りであり、大半の人間は被災者を含め社会的に不利な状況に置かれている人達に
労わりの心を持って接しているものと信じたいです。


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